21世紀へのケナフメッセージ

 日本のケナフ運動は、今大きな転換期を迎えているように思います。私たちは、これまでケナフという未知の植物に出会い、栽培し、その体験の中から生まれた様々な発見と出会いが、またケナフの新しい魅力と可能性を教えてくれました。

 それが地域活性化、環境教育、創作活動、商品開発など様々な切り口となって広がっていったのです。また、環境素材としてのケナフのイメージが大きかったことも手伝っています。

 ケナフを植えることで私にも何かできるかもしれない・・・。それはますます深刻化する地球環境の実情を知り、一人の地球人として未来に危機感をもち、何か具体的にアクションを起こしたいという潜在的な意識から来る広がりでもありました。

 ケナフの会を発足した1996年当時、ここ広島でケナフの名前自体を知っている人は極一部の人達だったと思います。インターネットなどを媒介としてケナフの魅力を発信してきましたが、1年草である、栽培しやすいといった特性は、環境教育の教材としても最適でした。そのため、現在の全国各地での取り組みは“ケナフを通して環境問題を考えるきっかけづくりをしよう”といったシンボル的な位置付けとして捉えられています。子供達が喜喜としてケナフと関わる姿を見るにつれ、その笑顔こそが私達がケナフに託した夢ではないのかと実感しています。

 ところがここに来てケナフ自体が持っている紙資源としての可能性や二酸化炭素固定化、あるいは生態系への影響といった評価が議論されるようになってきました。ケナフの急速な認知度の向上に伴い、ケナフが今後どういう形で実際に私たちの生活の中にそして社会に根付いていくのかといった、より現実的なレベルで注目されてきたのです。そういった流れの中で、これからは現状と課題を踏まえた情報を発信していくことが必要であると考えています。

 私達は、ケナフを植えればそれで事足りるとは思っていません。また、むやみやたらにケナフを植えようという気もありません。転作作物としては需要と供給のバランスやコストの面でまだまだ課題が多いことも把握しています。ケナフ=環境蘇生という切り口で活動していくのであれば、そういった情報を十分に理解し、自分で判断して、自分の意志で取り組むことが大切ですし、否定から入っては何も生まれないと思います。固定観念にとらわれずに、新しい可能性を探っていきたいものです。

 環境問題を語る時まず考えなければならないのは、現代の消費社会は私達市民が形成しており、、私たちが需要を促進しているという現実です。そして環境問題そのものが、私達が生活の豊かさ便利さを追求してきた結果であるという事です。

 そういった現実を前提にしてケナフを環境素材として捉えるならば、現在展開されているケナフ運動の本質は、ただ単にケナフというアオイ科一年草の植物の是非ではないように思います。このケナフに関する運動が、家庭から地域から市民レベルで草の根的に展開されているという事が重要なのです。そしてそれにあわせて(国産ではありませんが)ケナフ製品が徐々に、市場に出てきている〜新しい需要が形成されつつあるという現実です。最近では“無駄な努力だ”といった批判も聞こえますが、まず何よりも、消費社会の中でこれまで常に受身の立場であった市民が、自分の意志で何かをしよう何かを変えたいと考え始めたというところに希望が見えてきます。

 ケナフを植える、花を咲かせる、そんな身近なところから、少しづつ意識の変化が芽生えるのであれば、その意義は大きいと思います。

 製造現場でも、コスト重視の製品開発から地球環境に配慮したものづくりへの移行が、進められています。企業と消費者が一体になった取り組みとそのための循環システムの確立、そこに環境問題解決にむけての糸口がきっとあるはずです。

 私はある時偶然にも出会ったケナフという植物に、地球の未来に対する小さな願いを託してみたいのです。

 より具体的な運動を展開するためにも、今まで以上に、ケナフに対する意見(批判)や提案を率直に受け入れ、そ課題をしっかり検討していく必要があると思っています。

広島ケナフの会 代表 木崎 秀樹